結局女が強くなったということでしかないこと
流行っていると聞いて読んでみた、東村アキコさんの「東京タラレバ娘」。
仕事はそれなりだけどお嫁に行けない、特別ブサイクでもないけどとりたてて美人でもない、そういうアラサー女子の日々の七転八倒を描いている。
私はもうこのステージを抜けたから「ほろ苦い昔話」を見る感覚で読めるけど、当時の私が読んだらおそらく立ち直れなかっただろうというくらい、作者の筆(ペンか)は容赦ない。
東村さんらしい毒とユーモアがふんだんに散りばめられて、ぐいぐい読めるけど、このテーマ自体は、別に新しいということもない。むしろ、最近では定番といえるかも知れない。
私がこのマンガを見て思うのは、女はここまで寛容になったんだな、ということだ。
このマンガに出て来る男性は、みなろくでなし。一人の女性に尽くすなんて発想はないし(KEYは知らないけど)、女のほうもそれを許している。
別の言い方で言えば、女が男性にそこまで求めなくなったんだな、ということだ。
つまり、女性が精神的に強くなっているんだと思う。
ろくでもない男性を信じて傷ついてしまう自分を、苦笑まじりだとしても笑える余裕すらある。
マンガは世相をいちはやく反映する鏡で、最近の少女マンガには、この手のろくでもない男がよく出て来る。最初は、従来の少女マンガ界には珍しい、リアルな描かれ方だから、面白いと思って読んでいたけれど、段々心配になってきた。世の女性達は、なぜそこまで男性に失望してしまっているんだろう、という気がしてきたから。
もうちょっとまともな男性、そこそこいると思うんだけど。そういう人の存在を、諦めちゃいけないと思う。それとも、諦めないことに疲れちゃっているのかな。
女性は強くなったけど、強くなったところで辺りを見回してもごほうびはなくて、まあ自分もなりゆきで強くなっただけで高尚な目標を持ってこうなったわけじゃなし、ごほうびがなくても仕方ないけど、とにかく強くなったことだけは間違いなくて、そして自分がひとりぼっちであることも間違いなくて。こうやって強くなるまでに自分なりに戦ってきて、疲れが蓄積してて、今、何の見返りもない荒野に立ち尽くしてる自分を発見すると、さらに疲労感が増してしまう。そんな感じなのかな。
タラレバの3人の後悔は、はずれてはいないが、あたってもいない。タラレバしてれば、幸せな結婚ができたのか?
たぶん、違うから。彼女たちは道を間違ったわけじゃないと思うから。冷静に考えたら、あの時、「そうでない」選択肢はなかった、と気づくはず。今はパニックだから、自分の過去が何もかも間違っていたような錯覚に陥って、ひーひーなってるだけだ。
彼女たちは道を間違ってない。一方向に流れていくベルトコンベアの先には、ちゃんと普通のストーリーがある。別に怖がる必要はない。
人生に正解はないから、間違いもない。東村さんがちゃんと分かってる人なら、必ずそういう結末になると思う。