『意味がなければスイングはない』

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

東京に通いだして、めっきり家での時間が減ってしまい、ブログ書けなくなっちゃいました。
まぁ私のブログを定期的に読んでる人はいないと思うけど^^;まぐれにでもヒット数が多いと嬉しいもんで、つい。

 さてレビューします。大学時代のめりこんだのですが今はめっきり読まなくなった村上春樹です。というか、今はかなり嫌いです。ただ、文章はうまいと思うし、今どきの軽い作家よりかはマシだと思うし、一度親しんだ事があるぶん予測がつきやすいだろうということで、GWに新幹線に乗る時の暇つぶしに買ってみました。

知らないジャズミュージシャンの事なんかは私には分からないのですが、スガシカオの事も書いていたので、それを見て本の全体のトーンを推し量るというような読み方になりましたが…

良くも悪くも村上春樹でした。
この人の翻訳も、やっぱりそうなんだろうな。

評論って何でしょう。
評論って、評論家ありきではないと思うんですけど、元々小説家とか文学者であるような人が評論やると、どうもその傾向に偏ってしまう気がします。これは、最近小林秀雄の『モーツアルト』を読んでも感じたことなんですが。

小林の場合、ものすごく研究してるのは分かるんです。半端ないくらいモーツァルトに肉薄してるっていうのも分かるんです。私にはついていけないほど深く掘り下げてあるし。
ただ、そこかしこに「小林秀雄」が出て来るんです。評論に、それ、いるんでしょうか。むしろ評論家は黒子に徹して、読者が評論の対象に気兼ねなく近づけるようにするのが、評論家の仕事じゃないのかなぁ。

この本も、「村上春樹」がどうにもうるさくて、なんかよく分かりませんでした。スガシカオに至っては、新しい切り口は何一つなかったです。スガファンならたいてい気づいていることの上塗りぐらいのことでした。気づいていることでも、うまく言葉にするのは難しいというのりしろがあるのかも知れませんが、そんな鼻の差で逃げ切りみたいなのじゃつまんないなぁ。