『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

だいぶ前に見てました。iMax@川崎109で。

で、感想はmixiにも書いたので、もう繰り返しませんが、良かったです。
ただ最近、他のレビューを見ていて思うんだけど、熱狂的なのが多いですよね。
あれが不思議で。
何かの雑誌に、マイケルが死んだ時の一種のフィーバーについて
「最近のマイケルに大して冷淡であったことの罪滅ぼしの意味合いもあるんだろう」
みたいに書いてたんだけど、そうかも知れないと思います。

意地悪な言い方だけど、このタイミングで死んだからこそ、っていうとこはあると思う。
マイケルの今回のロンドンツアーだって、生前はそれほど注目されてなかったような気がする。今では何度も目にする、赤カーテンの前でThis is itツアーの宣言をするマイケルの映像だって、それがリアルタイムに流れたときは、少なくとも私は、無惨に崩れ落ちそうになってる彼の顔のことしか印象に残らなかった。世間も似たようなもんだったんじゃないかな。
映画の中で、マイケルはコンサートを作り上げることに大変真摯であったけど、マイケルにとっては普通の人間の生活を送ることより、コンサートの構成を考える方がよほどリラックスして、自分らしくいられたはずで、そういう場所で真剣になるのは当たり前だったんじゃないかと思う。

ただ、マイケルに対するみんなの興奮を改めて見て、思うのです。
マイケルという人は、人々の心の中の何かを強烈に煽る何かを持っていたんだなと。
いい歌を歌っているからとか、歌がうまいからとか、そういう次元じゃない気がする。
マイケルという人が歌い、ダンスをする、その空間があるだけで、人々は勝手に興奮し、覚醒し、狂乱するのだと。
その事が、あの興奮を見ているとあまりにも明白で、惚れぼれしてしまいます。
そういう力は、持とうと思って持てるものじゃないし、やっぱりある程度運命的に持って生まれたものじゃないでしょうか。

カリスマという言葉は最近ではずいぶん手軽になってしまったけど、本来の意味に近いカリスマだったんじゃないかと思います。

映画の中で女性ボーカルとデュエットしてた時、まさかマイケルに対して(しかも特に最近のマイケルに対して)そんなことは死んでも考えないだろうと思っていたのにも関わらず、一瞬、
「抱かれてもいいかも」
と思ってしまったもの。笑

やはり只者ではなかったのです。