三原順の夫

 

 考えてみれば、私は三原順が「はみだしっ子」を描いた年齢より、萩尾望都が「トーマの心臓」を描いた年齢より、ずっとずっと年を取ってしまった。そう思うと、未だ何も成し遂げていない自分に呆然とするけど、私は凡人なので仕方がない。

お二人とも20代の時に素晴らしい作品を産み落とした。三原順萩尾望都は私の中学時代の神様みたいなものだった。どちらの作品も私はほぼリアルタイムではないんだけど、それでも、その影響が色濃く残る時代を過ごした。その頃はお二人がとても大人に思えていた。でも今改めて考えると、それらはいわゆる「若書き」だったんだなあと感じる。大人の成熟した、落ち着いた筆致で描いたのではなく、若さのエネルギーで描き切った、というような。

そう思うと、はみだしっ子も、トーマの心臓も、全然違ってみえてくる。昔は、子供が大人に憧れるように、それらの作品に憧れた。今は、若い日の思い出を、当時の情熱を懐かしむように、それらを遠くから見て、愛しんでいるような気がする。

そして、この本を買って、私は初めて、三原さんが結婚されていたことを知った。

それを知って、私はすごくほっとした。心から、良かったと思った。あんなに繊細で鋭くて、やや加害者意識の強い、そういう三原さんがもし生涯ひとりぼっちで、あんなにも早くこの世を去っていたとしたら、それはとても悲しいことだったから。でも、私はそう思っていたのだ。三原さんの感性を受け止められるような人がそう簡単にいるとは思えなかったから。

しかも、お相手は(たぶん、これは私の推測だけど)高校時代のボーイフレンドではないだろうか。三原さんがデビュー前、まだ学生で、うまく描けずに悩んでいた頃、「僕に見せるための漫画を描けばいいのでは」とアドバイスしてくれたという、その人なのではないだろうか。

だったら、それは、三原さんの本質をちゃんと知っていた、「ほんとのパートナー」だったんじゃないかと思う。そういう人に見守られて、「はみだしっ子」を描いていたとしたら、なんだかとても嬉しい。あの、ひりひりするような心の痛い話を、そばで誰かに見てもらいながら描いていたのかもと思うと、思わずにやけてくるくらいホッとする(笑)。はみだしっ子は生きる難しさと正面衝突している話だから、あれを1人で描いていたと思うとつらい。

その人は今、どうしているんだろう、と思う。

きっと、普通に会社に通って、ごく普通に生活されている気がする。三原順の夫として、思い出話を聞かせてくださいよなんて持ちかける出版社がいるかも知れない。でも、きっとそういうのを全部断って、今日も会社に出かけてるのかも知れない。そして三原さんをアナーキーな漫画家じゃなくて、1人の奥さんとして、今も守ってあげてるんじゃないかと想像(妄想?)してしまう。

ちなみに私は「Die Energie 5.2 11.8」が大好き(はみだしっ子じゃないけど^^;)。ああいう話が書ける作家は、後にも先にもいないと思う。あれを読んで、私も加害者でいいって思ったんです、三原さん。

世の中、被害者ばっかり多すぎるんだもの。