『言の葉の庭』新海誠(小説)

 

小説 言の葉の庭 (角川文庫)
 

 秒速5センチメートルの人です。

監督自らノベライズ。

 

私は古い時代の作家が好きで、現代作家はあまり読まないんですが、夫が暇つぶしに買ってきて、ベッドサイドに置いていたので、私も入眠剤がわりに読んでみたのですが、面白かった。今っぽいなあと思って。

そして、今でもこういう恋愛らしい恋愛をしている人いるんだなと思ってちょっと安心した。私の感覚が古くなっているだけなんだろうけど、今の世の中窮屈なことが多くて、どうやって自由恋愛なんかできるかなという気がどうしてもしてしまって。学生のうちに、ほとんど初恋のうちに、生涯の運命の人と、出会った瞬間に両思いになっておかないともう、人生詰んでしまう気がする。

だけどこうやって苦悩して胸を焦がして、何かがいびつな恋愛をしてる人がいる。そういう人が朝の満員電車に乗っている、そう思うと少し安心する。

誰にもその人なりの事情があるよ、というのは分かる。だけど雪野さんは可哀想だし、相澤さんはよくない。一言謝るべきだよね。ただ、ここで謝る展開がないのが今っぽいなあと思った。ここのとこが、本筋とは関係ないんだけど一番印象に残った。最近このパターンあるよね。

たぶん、謝って済む問題じゃないってことなんだろう。しかし、謝って済む問題じゃない→だから謝らない、なのかね。後で罰があたるようなほのめかしもないし。たぶんないんだろう、罰なんて陳腐すぎるんだろう、現代のコンテクストでは。相澤さんは自分で自分を十分追いつめているから、なんかそのへんでオフセットされてんだろう。まあ、自分の中にそういう懲罰的な傾向があるのに気づかされるのもなんだか苦々しいんだけど^^;

でも自分で自分を追いつめるのって大体、誰もそんなとこまで望んでないっていうレベルまでこじらせるよね。相澤さんは外から触れないような入り組んだ場所に落ちてく、そして雪野さんの傷は相変わらずそのままで癒されない。そんなの必要?

それとも相澤さんの不器用さを可哀想と思ってあげるべきなのかな。

私はダメだな、訳も分からず傷ついた雪野さんのほうに感情移入してしまう。雪野さんもなんで誤解されるがままにしてたんだ、という意見はあるでしょうが。

でも、読んでいるうちに孝雄くんという救いが現れたので、どうでもよくなった。孝雄くんの一途な気持ちは素敵だったし、だから相澤さんはどうでもよくなったんだけど、でもそれでいいのかなあって、そこのところはモヤモヤしたままだった。

あの二人はどうなるんでしょうか。十二歳差っていうのは、なかなか、女性が上の場合にはしんどそう。下にいる男の子はいいかも知れないけど、女性のほうはいろいろ辛い。まして雪野さんみたいに繊細では、ちょっと難しいのかな。