寂しいポケット

その子が出勤していないことに気付いたのは今日が初めてだった。
ずっと、工場の方へ研修に出ていると聞いていたんだけど、研修が終わった後も本社に顔を出していないそうだ。もうかれこれ2週間。

最初の日だけ、「休みます」というメールが来たらしいが、その後は音信不通。
同期の子が心配してメールを何度か送ったらしいけど、返事はなし。

研修の最後の日、工場で、彼は泣いていたそうだ。本社には戻りたくない、と。

彼は去年の新入社員だった。
私とは仕事上のつながりは殆どなかったけど、私のやってる英語クラスにいつも登録してくれていたから顔はよく知っている。物静かで目立つような子ではなかったけど、話しかければ普通に返してくれるし、海外旅行に独りで行ったなんて話も聞いたから度胸のある子だと思っていた。

彼と最後にやり取りしたのは12月。
彼の英語クラスは水曜日なのだが、用事ができたので、火曜日に振り替えてもいいか、という内容だった。もちろんいいですよと答えたのだが、結局仕事の都合で出られなかったようだ。

彼の上司も、同僚の人達も、それぞれ英語クラスに来てくれていて、個別に知っているけれど、皆にこやかでいい人達だと思っていた。たぶん、本当にいい人達だと思う。
だから誰の事を責めるわけでもないんだけど、ただ、その子を可哀想に思う。

もちろん、原因はそれなりにあるのかも知れないけど、こういう事態は私には、ほとんど出会い頭の事故のように思える。
私達がみな、平坦で固くて、どこまでも続いていると、根拠もなく信じている地面。そこを歩いていて、ふと、暗い穴に落ちるのだ。何の前触れもなく。
すぽっ、と。

その子に何か、せめて手紙なり書きたいと思ったのだが、彼の上司に相談したらやんわり断られた。
書いてはいけない理由がもうひとつ飲み込めないのだけど、私のように会社内の勢力闘争(?)にまったく関知していない人間は、下手に動いて誰かに迷惑をかけないとも限らないので、とりあえず何もしないことにした。

ただ、その子が今落ち込んでいるであろうポケットの寂しい温度を想って、少し心が震えた。