読書のたのしみ

The Witch of Portobello

The Witch of Portobello

 最近、頓挫してた小説をもう一度読み始めました。
パウロ・コエーリョのWitch of Portobello。

パウロ・コエーリョは「アルケミスト」を翻訳で読んで、ほどほどな印象でした。
主食にはならないが、おやつにはいいかも的な。←えらそう

日本語版で読み続けようとはそんなに思わない作家さんですが、英語版だと英語が平易で読みやすい。時々「覚えておくと使えそうな、ちょっとウマイ言い回し」みたいなのが出てくるので、いいアクセントにもなります。ストーリーも難しくないので、ちょっと読んでしばらく放置していても、後追いしやすい。というわけで、パウロ・コエーリョは英語で読むのにふさわしい(と、私は勝手に思っている)。

この話(Witch of Portobello)、なんとなく好きなんです。
amazon UKでは結構シブい評価だったけど・・・。
主人公の女性に共感できるかどうかがすべてかも知れません。
わがままで自己中心的と言えばそれまでなキャラクターだし。
それにスピリチュアルな話も多すぎるかな。

でも、生きるのが下手であちこちぶちあたりながら格闘してる様子が、見ていて落ち着きます。
生きるのが下手なのは私だけじゃないな~、ってしみじみ思えるからかな。
最近は、どうして自分が人並みの人間になれないのか、不思議でしょうがなくて。

日本語で本を読む時は、本の作者と私との、完全なる二者の対話になりますが、これは体調などによって疲れる時もあります。でも日本語以外の言語(私には英語の可能性しかないけど)で本を読むときは、この切迫感がかなり薄れます。
作者は私でない、誰か他の人に語りかけていて、私は窓越しにそれを見ている。
作者の言葉が時々、ガラスを伝って、漏れ聞こえてくる。
よくよく聞いてみれば、自分にも分かる話が展開されている。
そういう、聞いても聞かなくても、どっちでもいい感じになります。
だから、楽。

しかも、人生に踏み迷っている人の話だから。
誰にも責められないし、自分で自分を責める必要もないし、なんかひたすら安らぐんだよね。

願わくば一日カウチに寝そべって読み続けたいもんだ~。
でもなかなかそれができんのよね。洗濯とか、掃除とか、炊事とかね。