『マダム・フローレンス!夢見るふたり』
久しぶりに映画を見た。
頼りにしているYahoo!映画のレビューではあんまり評価高くなかったので、それほど期待しなかったけど、これは良かった。しみじみと。
評価高くない人に多い意見は、シンクレア(夫)がフローレンス(資産家でオンチの奥さん)をそこまでして支える理由が分からない、というもの。
これはその通りだと思う。そこは細かく説明してない。なんなら二人がなぜ籍を入れてないのかもよく分からない。だから、二人の関係性に共感できるかどうかは、観る人が個人的に似たような経験をしたことがあるか、または性格的にたまたま共感できるか、にかかっているようなところがある。
自分は幸い、すんなり入ることができた。これは、人によるとしか言えない。
大感動とか、強く印象に残るようなものは何もない。そういう意味では、メリル・ストリープの演技がちょっともったいなくもない。あんなに歌が上手いのに、下手な歌い手の役までこなせるなんて、なんてこった、隙がなさすぎるぜメリル・ストリープ!(笑)
でも二人の間の優しい感情にしみじみと泣けたのだ。フローレンスは取り返しのつかない悲しみから逃げ切ることもできないまま、どこか手放しの、あけすけな生命力によって生きている。そのバランスの悪い生に、シンクレアという男は吊り込まれてしまう運命を持っているのだと思う。そういう男を演じるのにヒュー・グラントという俳優はうってつけだ。この人も、何かバランスの悪さを抱えて生きている気がするから。
金持ちのじいさんと結婚してた金髪のねーちゃんは良かったな。シンクレアのアパートでオールして、翌朝も妙に溶け込んでたし、あそこでシンクレアの愛人も見て、色々感じたんじゃないかな。そして、フローレンスのロックな生き方にどこかで共感したんだと思う。ああいうねーちゃんは粗野だが爽快で、かなり正しい直感を持っている。
ああいうタイプの人間がいると人生はめっぽう愉快になるのだが、最近は少なくなったよね。
カレル・チャペック『ひとつのポケットから出た話』
- 作者: カレルチャペック,Karel Capek,栗栖継
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 1997/08/01
- メディア: 単行本
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金曜の夜の図書館で、カレル・チャペックって、どっかで聞いたな、なんとなく美味しそうな名前だなと思って借りたけど、よく考えたら同じ名前の紅茶の店がある。フレーバーティを飲んだことがあって、だからかと思った。
これはいい本だった。とか言いつつ、延長しまくって、返却まで1ヶ月以上かかったけど。ページを繰るのももどかしい、みたいな本ではない。後、一話読み終わるたびに余韻に浸りたくなって、一気に何話も読めない。で、遅くなる。
短編集で、一応、事件仕立ての話が多いので、ミステリーといえばミステリー。でも推理物ではない。
人が死んだり警部が出てきたりするけれど、作品のテーマは人の人間性。矛盾とかすれ違いとか、固定観念とか。それが難しい言葉じゃなくて、あくまで日常生活を超えない範囲の設定と文章で描かれる。
今の時代でも普通に通用するんだよなあ。舞台はあくまで1920年代のチェコで、出てくるのもチェコ人なら、あちこち出てくる地名もみんなチェコ。
だけど人間性というのは、普遍のテーマなんだろう。
いちいち、読むたび納得するのだ。普段人ってこういうものだなと思ってる、それとおんなじ視点の作品に出会うと、急に明かりで照らされたみたいにハッとなってしまう。
たとえばこんな話がある。
若い男女がリゾート地で、ある警部とたまたま同じテーブルにつく。女が不意に落とした靴屋のレシートがきっかけで、警部は2人に、同じような何気ないレシートが手がかりになって解決したある事件の話を語って聞かせる。
それは地方から出てきた貧しい女が、愛人に裏切られて殺された哀れな事件で、その女が死んだときポケットに入れていたレシートがなかったら、誰も真相を知りえなかった。警部は向かいに座る若い2人に向かって、真面目な話、たかがレシートと思って捨ててしまわず、何でも保存しておくにこしたことはないと話す。
男はちょっとした面白い話を聞いたという程度で、すぐ別のことに興味を移してしまうが、女のほうは深く感じ入った表情で、男に見えないように、そっと自分のレシートを捨てる。それに気付いた警部は、少し悲しそうに、でも微笑んでそれを見守る。
このあらすじを聞いて、「だから何なんだ」と思う人は、この本は向かない。ああ分かる、と思う人は、読んでみることを薦める。
たくさんの人に読んでほしいと思うけど、今の人にウケる感じじゃないよなあ。
それに、いまどき、1920年代にチェコ人が書いた本なんて普段目にするチャンスがないし、新しい本は無限に出版され続けていて、今後ますます隅においやられてしまうのかもしれない。こんなにしみじみ心にしみる本なのに、これから100年後にはもう残ってないかもしれない。そう思うとさびしいな。
挿絵はチャペックのお兄さんの手によるそうだ。ヘタウマ風の絵だけど、味がある。昔の穏やかな時代、だけど別の面では死がもっと身近だった時代に、こういうシンプルな線でシンプルな絵が描けたんだなあ。
『サプリ』おかざき真里
8巻が重要な展開を含んでいるので、引用します。物語は10巻で簡潔です。
おかざき真里さんは、ちょっと感性が違うなと思ってじっくり読んだことがなかった。画面に花や魚やリボンや水玉が必然性もよく分からないまま(作者的にはあるんだろうけど)に飛び散るさまが、華麗で妖艶で、さすが美大出という感じで、田舎のオタク少女だった私と本質的に相容れず。
でも、「サプリ」読んでみたら面白かった。
何より、ミナミのような「ほんとの意味で」強い女性が最後に幸せを手に入れられたラストシーンにほっとした。力をもらえた気がする。私もがんばろっと。
働く女子の大変さというのは、感性が違っても、土俵が違っても、共通する部分がある。おかざき真里のキャラクターが同じ職場になったら、プライベートでつるむことはないだろうけど、仕事は信頼して一緒にやれそうだと思う。
7巻まではタラタラ読んでいたんだけど、8巻でぎょっとした。それから最終巻までは一気に持っていかれた。独特のあの湿気というか生臭さというか、そういうものを感じさせるタッチと相まって、あの展開は心にささった。
ただほかの人の感想読んでると、みんな歯切れがわるいね。『働きマン』はいいけど、こっちは、みたいな。ちょっと分かる気もする。
なんか、読み手の気持ちの、変なとこを引き出してしまう作家さんなのかも知れない。
そらを見る子ども
年を取ると、人の話も、すごくよく聞く場合と、聞くふりしてほとんど聞いていない場合に分かれて来る。というか、多くの人の話は、後者のパターンになってしまっている気もする。耳にはじかれるのである。それは、自分の頭が凝り固まってしまっているせいなんだろうと思う。
今朝、Eテレで「日曜美術館」をやっていて、先日東京駅で見たモランディを取り上げていたもので、なんとなく見ていた。何人かがモランディの芸術について意見を述べていて、大体の人の話は例によって私の耳を素通りしていたのだが、1人、言葉の一つ一つが、驚くほどすっきりと耳に入ってくる人がいた。
洋画家の入江観さんという人だった。
一瞬で、この人の言葉、好きだなと思った。家事をしながら見ていたんだけど、途中から家事そっちのけで、最後までみてしまった。番組の後、早速ググってみた。あまり情報はないけれど、講演のテープ起こしがあったので、読んでみた。
https://www.library.city.suginami.tokyo.jp/daigakutosho/pdf/katsudo_h19.pdf
はあー。素敵。こういう人の言葉の良さってなんと表現すればいいだろう。
素直で、まっすぐで、純粋。自分を誇示も卑下もせず、飾りも傷つけもしないまったく無加工で無造作な言葉。言葉の裏には大きな広がりと奥行きがある。抜けるような空だ。
誰もがこんな言葉を持てるわけではない。それはどういう人生を生きてきたかに密接につながっている。小さい頃から自分の好きなものが明確で、それを生涯追い続け、仕事にもしてしまった人には、こういう言葉を持つ人がいる。入江さんもそうなのだろう。
私が数年前に働いていた研究所の研究員の先生にも、同じような人がいた。気象学が専門で、その分野では世界的に有名な人だった。入江さんとよく似た、明るい、ほがらかな顔の人で、やはり、まっすぐで人の心に届く言葉を持っていた。おそろしく頭はいいのだろうが、頭のよさより前に、素直さ、明るさ、温かさがその人を覆っている。
そういう人と話していると、ご本人はもう70歳とか、80歳に手が届くかという頃ではあるのだけれど、少年と話しているような気になってくる。小さい頃空の雲を見るのが好きだった少年が、雲がどのように出来るのかを知り、やがて気象学へ進むようになった。高度に学術的なことが理解でき、自ら新しい理論を提唱できるくらいそれを自分のものとした後も、やはり雲を見上げるのが好きだっただけの少年が、その人の中に生きている。未知なるものへの憧れ。何かを追い続ける人の瞳には濁りがない。
私もそういうものになりたいと思う。
入江さんの講演で、
「人類で一番最初に絵を描いた人のことを考えてみると…アルタミラとかラスコーとか、約3万年前のものが残っていますが、その前に描いた人がいるかも知れない。残っていないだけで。だけど何故絵を描いたのか、絵の具や美術館が美術学校なんてありません、『美術』という言葉もない、だけど何だか知らない、描かずにいられないという気持ちが起きて手が勝手に動いた」
というような話があるんですが、まあこういう言い方はよくされて、すごく斬新というほどでもないけれども、入江さんのような才能と人間性のある人が、実感としてこれを言うと、なんだか泣けるくらい沁みてしまう。今、そこで話している入江さんと、太古の、名前も知らない、本能に導かれて地面だか壁面だかに絵を描いている人が、ぴったりリンクして、その大昔の誰かの声を、入江さんが運んでいるのだと思えてしまう。
そういう人の澄み切った言葉は、いつまでも聞いていたいという気持ちにさせる。
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ノンストレスで見られるフィールグッドムービー。
途中までとても楽しめたけど、ちょっとうまく行き過ぎで最後の20分くらいはダレてしまったかも。特に、旦那さんが最後に帰ってくるのはちょっと出来過ぎで、この旦那さんまた浮気すんだろなと思ってしまった。仕事がよくできて会社でも評価されてて、自分でもそれが快かったような人を家事専門にしてしまうことの無理さは、女性でも男性でも同じ事だ。そこを見ないと、「結婚しているのに浮気はよくない」みたいなモラルだけでどうにかしようとしても、ほんとの意味で解決しない。
ロバート・デ・ニーロ演じるベンも、途中まですごく良かったのに、間違ったメールを削除するためにジュールス(アン・ハサウェイ)の実家に忍び込んだあたりから、何か違うぞ??という感じがしはじめて(あれは素直にお母さんに謝るべきじゃ?^^;)、後は最後の最後まで頼りになる良き人生の先輩、っていうステレオタイプから一切出ないので飽きてしまった。何か一つくらい、ジュールスを傷つけたりケンカしたりするような場面がないと、嘘っぽくなってしまう。なんだ、ただ女性が言ってほしいことを言うためだけに作られたキャラじゃないか、っていう気がしてしまって、生きている1人の男性として見られない。
サンフランシスコのホテルで夜中閉め出されて、部屋に戻って2人になった時に、いちいちジュールスが挑発するようなことを言うのも良くないと思った。「アナタのこと男として見てませんから」みたいなことを、いちいち態度で示す必要あるかな?自分を応援してくれてる人に対して失礼だよ。あそこでベンが怒るなりすればもうちょっとリアリティあったのに。
とはいえ、フィールグッドムービーですから。割り切って見ることができれば、楽しい映画だと思います。
でも、シニアインターンなんてすごいな。ほんとにあるのかしら。しらじらしい社会貢献、と言ってしまえばそれまでだけど、たまにはベンのような人も多分いるのだろうから、いい制度だと思う。私も70歳になったらやってみたい。
実験的な試みを支持する社会の空気がなければ成立しないよね。こういうのはアメリカの良さだろう。それに、ジュールスは社長でとてもワンマンなのに、そういう人に対して「専属のインターン付けましたよ、明日来ますよ、ってことでよろ」で済んじゃうのもすごいと思う。そこに目が行ったのは、私が普段仕事で大会社の社長達をみんなで崇め奉って、何をするにもバカみたいに時間がかかることに、イライラしてるからだと思うけど…。ジュールスも、「え!?なによそれ〜」とか言いながら、結局受け入れちゃってる。このスピード感と即応力。アメリカっぽくて好き。
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エマ・トンプソンが好きで、ディズニーアニメには思い入れがあんまりない、という人にはとってもおすすめ、つまり私(笑)
エマの出ている映画は、私にとってはどれもハズレがない。エマの選ぶ映画と、私の好きな映画のタイプが近いんじゃないかと思う。恐れ多いけど。エマ好きなのよねーとにかく。演技がうまいし、頭がいいし、あったかいし、ガサツを危うく免れるサバサバ感。そのへんのバランス感覚が。私がロンドンに住んでた頃、エマがウェスト・ハムステッドに住んでると聞いて何度か通ったよ^^;
この映画は、メアリー・ポピンズの作者でもある偏屈で無愛想な女性作家パメラが、ディズニーの説得に折れてアニメ化を承諾するまでの話なんだけど、メアリー・ポピンズ自体はこの映画のモチーフとしてそんなに重要視されてない。されてるのは、エマ演じるパメラがどのように心を閉ざしていて、どのようにそれを開きうるのか、ということ。優しいけど生活力のない父親を、主人公は幼い頃から愛していた。成長するに従って父親の不甲斐なさも分かってくるんだけど、父親自身、そんな自分が嫌で嫌で仕方ないという精神構造を、娘だからよく理解して、なんとか救おうと努力する。
でも結局、世界は彼女の希望にこたえてくれず、やがて彼女も世界と交渉することをやめてしまう。
彼女の中には、幼い日のままの少女が住んでいる。彼女はそれを守りたくて、ガチガチに鎧を着込んでいる。
トム・ハンクスのウォルト・ディズニーがまたいい。ブルドーザー並に前向きで積極的なアメリカ人。だけど彼とて恵まれた人生だったわけではない。パメラと種類は違うけど、苦労に苦労を重ねた少年時代がある。けれども彼はたくましくそれを乗り越えて、今は多くの子供たちに愛や夢をもたらす英雄になった。苦労は前面に出さず、明るく、闊達な人柄。そういうサクセスストーリーと、あくまでプラス思考な感じも、アメリカらしくてとてもいい。
パメラも、ウォルトのそういう背景が分からないわけではない。ウォルトも、パメラの抑圧された心を理解している。それでも、2人は哲学が違って、メアリー・ポピンズをどう映画化するかで対立がとけない。
ウォルトがメアリー・ポピンズをフワフワしたミュージカル仕立てにしたいのは、パメラの気持ちを理解しないからではなく、そういう哀しみや割り切れなさを表に出すことを好まないからだ。でもパメラには、それは嘘と写ってしまう。
ウォルトは最終的に、パメラの言い分を無視して自分のやり方を通す。このあたりの非情さも、ウォルト・ディズニー・カンパニーを率いる大社長らしい、納得の判断だ。ぎりぎりまでは心を尽くして話し合いをする。でも、最後の決断の時に分かり合えていなかったら、それ以上は引きずらない。大勢の社員を抱えた身であってみれば、当然のことだと思う。ウォルトのこだわりは、大人としてのこだわりだし、パメラのこだわりは、少女のこだわりだった。だから負けてしまうことは、たぶんパメラも分かっていたんだろう。
最後、映画の試写を見て、パメラは涙を流す。その理由は説明されない。後世まで多くの人に愛された、その映画を見て、思わず素直に感動したのかも知れない。または、自分の意思をへし曲げてこんなものを作られてしまったという、悔恨の涙かもしれない。
私も試写のシーンで泣いてしまったんだけど、理由はよく分からない。
なんか映画がほんとにフワフワしてきれいで、みんな嘘みたいに楽しそうで、それでなんだか泣けたのだ。パメラは涙を流しながら、心で父親を呼んでいるような気がしてならなかった。そしてその涙は、あたたかい涙なのだと、私は思った。実際のところは、分からないけれど。