お祭り騒ぎは夜通し

ケンタウルス露を降らせ

『カルテット』

 

カルテット Blu-ray BOX

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 と、いうわけで次はカルテット。

これ本放送の時は全然ピンとこなかった。もともと坂元裕二がピンとこない。これまでの有名作品全部好きじゃなかったし。

でも、この人なりのカラーはすごくあると思うので、好きじゃないけど、こういう人がいていいとも思う(すっごい上から)

村上春樹は好きじゃないけど、いてもいいと思うのと一緒かな。ただ個性の強い作家さんって、変なシンパが付くから、それがなんか鬱陶しい。別に作家さんのせいではないけど。

初回の唐揚げのくだりで挫折した人多いと思う。自分もそう。それは前もって分かってたので、今回はそこは我慢して飲み込んだら、後は楽になった。世界に入り込めたんだろう。入り込んでしまうと面白い。もちろん、入り込むためには好きな俳優とか、設定とか、そういう水先案内人がいるととても助かる。家森諭高が瑛太で世吹すずめが尾野真千子だったら絶対見ないもんな。

女性陣が二人とも好き。松たか子満島ひかり。演技上手な二人で見てて楽しい。高橋一生もそうだし、この4人の中ではアクがなさすぎるように見える松田龍平も、よくよく見ると上手だ。勤勉で面白みに欠けるキャラを自然に演じていると思う。他のキャラとのバランスを考えるとあれくらい抑え気味の演技でちょうどいい。終盤の、真紀への2回目の告白シーンは地味な奴の執念みたいなのが出てて良かった。

松たか子テレビで見るの久しぶり。やっぱり上手だ、演技も歌も。眼福だ。小さい頃の事件の話なんか、突拍子も無い感じだけど、そうは思いつつ引き込まれてしまう。夫のクドカンも割と上手かったな。美人と並ぶと不釣り合いな夫婦だけど、それだけにリアルさもある。まして、惚れてるのが美人の嫁の方っていうのがね。あるんだろうなって。

そういえば真紀のキャラもよくできてたんだよね。一見ミステリアスだけど、実は平凡で世界の狭い女の人。多分バイオリンもまあ普通なんだろう。カルテットの4人って結局どの程度うまくてどの程度下手なのかが定量的にわかんなかったけど、市民オーケストラよりは上手いんだろうな。一応音楽で食べていこうとしてるから。ただ細かく見ていけばアラがたくさんある、ってことかな。そういえば最後の匿名の手紙はなんか徹底的にけなしてたけど何だったんだろう。そんなに他人に八つ当たりする必要ある?みたいな中身だったな。

楽器をちゃんと弾いてるのかどうか、運指は正しいように見えたけど、結局音楽を上から被せてたのでどのくらい真に迫ってるのかよくわかんなかった。ただ、松たか子が一番上手に弾く真似してると思った。大げさすぎず、不足もなく。ほんとこの人の演技見るのは楽しい。EDの時の満島ひかりとの共演も見応えあった。満島ちゃんが分かりやすく艶っぽく感情的な方面に行くので、松さんはポジション取りを工夫しただろうと思う。感情をコントロールして、何を考えてるか分からない人みたいな。

高橋一生が演奏の時ズボンの裾をすぼめてるのは何か意味があるんじゃないかと思ってググったけど何も出てこなかった。単なるファッションにも見えないんだけど。ギターとかならズボンの裾の折り返しにピック入らないようにとか(←適当)、配慮かなと思えなくもないけど、ビオラでねえ。誰か真相を知っている人がいたら教えてください。

この話は雰囲気モノっていうか、あまり現実的に捉えてもしょうがないような話だけども、最後の、真紀さんは父親を手にかけたのかどうかという謎。多分、クロじゃないかなぁと思う。「こぼれちゃった」もそうだけど、手にかけてたからこそ、不起訴になった後も仲間のところへ戻ってこなかったんじゃないかと思う。それがいよいよ暴露されたら、迷惑をかけるレベルが変わってくるし、さすがにすずめちゃんや男二人にも受け止めてもらえないと怖くなったんじゃないだろうか。

だけど結局連れ戻されて、真紀さん的には腹をくくったというか、最悪の事態になったらなったでいいや、という気になったのかもしれない。一線を超えてしまった後の大胆さというか、それであんなコンサートも開いたのかもしれないし。

でもああいうコンサートなら見てみたいと思った。一線超えた人たちのコンサート。

そういう泥にまみれた感じもいい、生きてるって気がする。正義とか悪とか、どっちかに振り切れないというのが生きてるってことなんだろうし、チョンボしちゃっても、また生きていかないといけないのが大人だし。真っ白シミひとつないテーブルクロスに汚れがついちゃいました、はい人生ゲームそこで終わり。にはならないのが人生、良くも悪くも。林檎姐さんのいう通り、人生は長い世界は広い、品行方正だけでやり過ごせない落とし穴はいっぱいある。

『わたしに運命の恋なんてありえないって思ってた』

 

 何を隠そう、ロマコメ大好きである。好みのタイプのロマコメに出会うと、サルのように繰り返して見る。とは言え、好みのロマコメにお目にかかることはそうそうない。下手なロマコメは砂を吐きそうになる。

『わたしに運命の恋なんてありえないって思ってた』はよかった。関テレ作で去年のクリスマスにスペシャルドラマとして放映されたらしい。裏が逃げ恥の最終回だったらしくほとんどその時話題にならなかったが、もし知っていたらこの配役なら、とにかく見たと思う。

多部未華子高橋一生という演技上手な二人。どちらも、とびきり美形というタイプじゃないところがまたいい。一般人っぽさが出て、親近感がわく。例えば同じ脚本を、佐々木希ちゃんとディーン・フジオカがやったらどうだろう。全然違ったテイストになっただろうし、自分は多分見ていない。

とにかくこの二人は、細かいところまで上手いのだ。一つ一つの表情が自然で、もしかして地でやってるのかな?と思わせつつ、決してそうではない。自分の素地を使いながら、うまくそれを加工しているという感じ。匠の技を鑑賞している気分になってご飯何杯でもイケる。GYAOでレンタル視聴したのだが、2日で多分10回以上みた。それだけで飽き足らず再レンタルまでした。

脚本もいい(大島里美)。所々、ベタすぎる痛すぎるセリフの羅列のシーンになるが、この2人がやると知って書き下ろされているとすれば確信犯だろう。「東京とラブの真ん中で」とか、「徳川15将軍ラブ幕府」とか、小ネタもいい。「Bocci de Xmas」なんか、本当にあればいいと思う。あるのかなあ。なんちゃってイタリア語っぽく作られててセンスもいいと思う。それから黒川(高橋一生)の経営するIT会社の名前、Timeisは特にいい名前だと思った。

黒川社長は父子家庭で育って、父親は運送会社をやっていた。毎日ドライバーのシフトを組むのに膨大な時間がかかって苦労しているのを見て、シフト組みを自動でやってくれうアプリを高校生の時開発したというのが、彼のキャリアの始まりだというふうに語られる。

つまり、時間を節約して、限られた1日の時間を他の豊かな過ごし方に使いましょうというのがコンセプトな訳で、Time is moneyを短くしたのがこの社名。(脚本家さんに聞いた訳じゃないがきっとそう)

彼のお父さんへの気持ちとか、仕事への夢とか、色々詰まったいい社名だと思う。

莉子(多部未華子)はシラノ・ド・ベルジュラックにあやかって「白野」なんだね。自分も好きなのに人の恋を助けてしまうというところが同じ。リリック白野だから莉子かな。そして主人公が「白」野さんだから相手役が「黒」川で、脇役に「桃」瀬さんと「緑」谷くん。全部色が入っていて、初めのうちは着ている服もそれぞれ自分の色の服を着ている。途中からどうでもよくなってきてるけど(まあ、1色で回すのは難しいわな)

ゲームキャラの声を当ててるのは多分本当の声優さんだろうね。今の声優さんに詳しくないので、そこの遊びが分からなかったのは残念。多分キャラデザインをしてるのもちゃんとしたアニメーターさんなんだろう。何人か入ってたみたいだよね、タッチの違う絵が次々出てきて。

メインの恋愛模様以外に、そういう遊びがふんだんに入っている。だからなんども見られて、毎回楽しいのだと思う。

それからキーワードとして出てくる「ふがいない」。頼りにならない男性に対して「ふがいない」を連発するのだが、ふがいないってちょっと古い言葉で、可愛いよね。最近は鋭く尖った言葉が溢れてるので、「ふがいない」という言葉にはなんか、あったかみを感じた。責めてるんだけど、愛情があると言うかね。

同窓会シーンはお約束のキュンキュンで、ラストシーンはあの小っ恥ずかしいシナリオをよくここまで仕上げたな!という主演のお二人に拍手。釣堀のシーンもいい。個人的に気に入っているのは満喫で二人でDVDを見ているシーン。莉子は「酔っ払っておんぶした男女は、必ず結ばれます」と言ったが、それを真似れば、満喫でオールして恋愛ドラマを1クール分一緒に見た男女も、かなりの確率で結ばれるんじゃないかという気がする。

『人生フルーツ』

映画『人生フルーツ』公式サイト

逗子のCinema Amigoで鑑賞。この映画館は初めて行ったんだけど、満席になることは年に数回しかないとサイトに書いてあったので安心してギリギリに行ったら、まさかの満席だった。(座れたけど)

年に数回に当たったのか。

この映画、元建築家の90歳の津端修一氏と妻で87歳の英子さんの半自給自足生活を追ったドキュメンタリー。映画の途中にご不幸があることもあり、のんびりした中にも静かな悲しみと、また小さな救いが描かれるいい作品になっている。

ネット上の映画レビューなんかでは評価が高くて、さもありなんと言うところだけど、もちろん楽しまなかった人もいる。結構な年金額をもらってるじゃないかとか(月23万て言ったっけ?)、自給自足じゃないじゃないかとか(畑もあるけど、普通にスーパーで野菜買うし)、まあそんな意見が多かった。

東大出ていくつも団地を設計して、そのほとんどが経済とのせめぎ合いで不本意な結果に終わったとしても、いまだに講演にも呼ばれるし、奥さんはいい人で夫唱婦随を絵に描いたようだし、「人は、土を離れては生きられないのよ!」的な思想は文句のつけようがなく真っ当だし、何もかも正しすぎて、ある種の人たちは息苦しさを感じるのかもしれない。かわゆいシータが言うなら受け入れもするが、自分ちのご近所にもいそうなお年寄りに言われるとイラっとするとかね。

そういう人には、あれはきれいすぎるドキュメンタリーに見えたのだろう。ただ、個人的にはそう感じなかった。ご主人はかなり頑固者だと思ったし、奥さんも厳しい人かも知れないと思った。仲間としてはいいけれど、対立すると歩み寄ることのできない、難しい人たちかも知れない。あの半自給自足生活も、一面の真理に支えられているだけで、そりゃ揚げ足を取ろうと思えば色々に取れる。だからあれを、聖人君子が提唱する理想郷がテーマのドキュメンタリーと捉えると多分違っていて、制作側もそんなことを意図して作っていないと感じた。あれは頑固者が頑固を貫いた生活をして、そこにたまたま全面的に協力してくれる奥さんがいたという、ちょっとしたメルヘンの話なのだと思う。

自分はああ言うご夫婦がこの世界のどこかにいることを知れてなんとなく嬉しかった。あのご夫婦は、自分たちと違う暮らしを楽しむ誰かがいたとしても、それを責める気なんかないだろう。自分たちの望む暮らしをただ追求していただけだし、そもそも他人の生活に興味なんかなさそうだ。こちらとしては、たとえ自分が乱脈な生活をしていようとも、ああいうご夫婦がどこかにいて、人類全体の点数を上げてくれてると思えば、有難いくらいだった。とは言え、あの暮らしを見習う気はそれほどないんだけれども。

あと、東海テレビのドキュメンタリーって全部見てみたいなあ。随所に巧さを感じた。押し付けがましくないのがいい。ナレーションも最小限で、見る側に委ねている。

大好きだった「深夜特急」も東海テレビ制作じゃなかったかな。と思って調べたら名古屋テレビだった。東海テレビ名古屋テレビ・・・違うよね。(中部地方の皆さんすみません)


心温まる夫婦のドキュメンタリー!映画『人生フルーツ』予告編

『はじまりのうた』

 

 これ好きなんだよね。ジョン・カーニー監督の最近の三作の中で一番。
はじまりのうた>once ダブリンの街角で>>>シング・ストリート かな。

歌だけで言えばはじまり>シング>once なんだけど。どうでもいいか。

マーク・ラファロがいい。決してハンサムガイではない彼が、彼にしか出せない色気を出している。こういう俳優に弱い。自分を客観的に見られて、自己プロデュースもできる男。役によって自分を全く変えられる。そして身長があまり高くないというのが個人的なツボ。身長というのは下らないメリットだが明白すぎるメリットで、男でこのメリットを持つことができない男はいろんな工夫をする。それが魅力になってる場合は、単純な高身長男より数倍魅力的だ。

キーラ・ナイトレイもいい。パイレーツ・オブ・カリビアンの頃は、こんなブロックバスター作品に出るタイプじゃないのになーと勝手に思っていたが、その後もこういう佳作に出てるのを見るとホッとする。歌声もいいよね、押し付けがましくない歌声で。それとこの人は笑顔があけすけで好感が持てる。意外とガハハ笑いするんだよね。

そして先に売れる彼氏を演じたマルーン5のアダム・レヴィーンがまたいい。演技うまいなー。上手いっていうか、自然。ジョン・ボンジョヴィも自然な上手さがあるし、アメリカ人のアーティストって演技上手いのか。ってその二人しか知らないけど。後、アダムは当たり前だけど歌が上手い。この役は歌が上手くないといけないんだよね。それも抜群に上手くないといけない。ラストシーンが重要だから。

そして友達のスティーブ。彼が影のキーキャラクターだと思う。彼がもしグレタ(キーラ)に少しでも男女の感情を抱いたら、この映画はもっとめんどくさくなっていた。でもイギリス人にいそうだよなこういう男。エネルギッシュで貧乏に耐性があって底抜けにいいやつで、異性に対して完全な友情を貫ける、みたいな。ちょっとウソっぽいけど。ゲイなのかな。それはどっちでもいいけど。

ラストシーンは色々解釈できると思う。

自分は、彼女が作ったあの歌をああまでデイヴ(アダム)が完全に歌いこなしたことで、「ああ、これはもう自分の曲じゃない、彼のものだ」と思ったんじゃないかと思う。または、気軽に浮気なんかしといて、元カノの歌をしれっと情感込めて歌ってしまう彼の中に相容れないものを見たのかも。彼はこれからも浮気するかもしれない。でもそれはそれで切り離して、きっと今と同じように歌える。そういう人なのだ、と。歌をひとくさり聞いただけで、彼の浮気を見破るくらいの感性の持ち主だ。歌から受け取るメッセージは人よりずっと多いのだと思う。ただ、彼の実力は疑いようもない。彼はステージで、大衆受けするポップスアレンジではなく彼女が望んだオリジナルのアレンジを選んだ。それで歌って、そしてあそこまで観客の心を掴んだのだ。果たして彼女自身が歌ったとしてさえ、そこまで多くの人の心がつかめるだろうか。彼は本物だ、と思っただろう。そして自分がもうそばにいる必要はないのだ、と感じたのだろう。

そんな解釈を自然としてしまうくらい、最後のアダムの歌唱は素晴らしかったんだよね。やっぱプロはうめーわ(笑)

最後、ヨーロッパ版も作りたいねというグレタに、すぐに頷こうとしないとダン(マーク)。二人が別れる時の目と目の会話もよかったな。「私たち、タイミングが違ってたら付き合ってたね」「そうだね。でも、その時はすぎてしまったね」という会話が明確に聞こえるくらいの見つめ合い方だった。しかし、一度自分から心を移した奥さんに戻れるものかね、ダン。振り切って走っていくグレタの方が賢いと思うけど、まあ、人生は人ぞれぞれ。

『想像ラジオ』いとうせいこう

 

想像ラジオ (河出文庫)

想像ラジオ (河出文庫)

 

 初出が2013年。その時読んだらもう少し感じ方が違ったかもしれない。あの震災からどのくらい遠ざかったかで、という意味だけど。あの震災は本当にショックだった。自分も、一日中テレビの前から離れられなかったことを覚えている。あの時の自分は、放心していた。繰り返される津波の映像に、完全に心をもって行かれていた。その感覚がまだ新鮮な時なら、この本はもっと刺さったかもしれない。

途中まではすごく面白かった。永遠に続きそうな軽薄なおしゃべりの下に深い悲しみや憤りや矛盾、絶望、そんなものがあるのはよく見えたし、どこに着地するのだろうかと思ってどんどん読み進めた。ラッシュの通勤電車でハードカバー広げて読んじゃってたくらい。(迷惑だって)

この作者のことはよく知らない。他の作品も読んだことがない。他のもこんなに饒舌な語り口で進むのだろうか。いずれにせよ、軽薄に語られるエピソードの一つ一つも深いし、そしてその語り口の下に沈む世界も深い。すごい、すごい、と思って読んでいった。

奥さんの声が聞こえないのは何故なのか。それが一番の関心事だった。彼がいうように、ただ単に生きてるから聞こえないのか。でも生きてる人間の中にもDJアークの声を聞く人がいるし、DJアークに聞こえる生きている人の声もある。何か、他に意外な理由があるのじゃないか。これだけ様々な仕掛けを散りばめることができる作者であるならば。と、思った。

でも、そこは意外とあっさりしてたように思う。もちろん、あっさり見えているようで、作者の意図はまだまだ隠されているかもしれない。こういうタイプの作品に隠された意図なんてものは、探し出すと泥沼にハマりそうな気がする。文学部の学生が卒論とかに取り上げると面白い論文が書けるんじゃないかな。

だから自分に受け取れた範囲だけでいうのだけど、あっさりしてた。奥さんは主人公を愛していたし、子供も主人公を愛していた。

それがあっけなさすぎて物足りなかったというか。だってアークの回想によれば彼はあまりいい夫でも父親でもなかったように思ったから。でも、実際にはそこまで悪くもなかったのかな。ちょっと偽悪的に自己認識しているだけなのかな。

それから、死者の苦しみや家族を亡くした人の悲しみを本当に理解できないことを、そこまで悪いことだと思わないことが、この本に共感しきれなかった理由の一つかもしれない。だからナオ君の自分に対する追い込み方に、そこまでしなくてもいいんじゃないか、と思ってしまった。

生きている者の傲慢さで死者を思っても、それはそれでいいし、また別の傲慢さでもって思い出しもしないとしても、やっぱりそれでもいい。生きている人間はともかくも生きて行かないといけないし、生きることは大変だし、自分の周りのことにしか気が払えないとしても、残念で寂しいことかもしれないけど、罪ではないと思う。

死は生きている我々全てに訪れるもので、ドラマチックであれ平凡であれ、死は死だ。今日もどこかで誰かが命を終えているのは確実で、そのうちのいくつかは予期しないタイミングで不本意に奪われているのかもしれない。でも自分たちはそれの一つ一つに心を寄せていない。それはしょうがない。そういうものだし。

逆に自分が死ぬ時に、ごく親しい人たち以外が自分の死に関心を持たなかったとしても多分気にしない。たまさか全く知らない誰かが偶然自分の死を知って、全く無責任で浅い同情を投げてきたら、自分は多分ありがとうって言うと思う(言えればの話だが)。

何だろう、自分はそう言う浅はかな感情が嫌いじゃない。それはその人の優しさだと思う。

NHK『ばっちゃん〜子どもたちが立ち直る居場所』

www.nhk.or.jp

またNHK。好きだな。NHK推しというほどでもないんだけど。
前クール「勇者ヨシヒコ」とかめっちゃ楽しんで見てたけどw

保護司という仕事を初めて知った。ボランティアというからすごい。この人が子供のために用意する食事の費用はお役所から補助は出ないんだろうか。寄付はあるらしいけど。

8年の追跡取材らしい。最初小学生として出ていた子が、16歳になっている。

彼は敬語も話せるし、まっすぐにこちら(インタビューしているディレクターなのだろうが)を見て話す姿勢に素直さを感じる。でも、恵まれた家庭の子ではない。問題を起こし、少年院にも入る。でも、出てくると、やっぱりシャイで素直な普通の男の子に見えて、すさんだ様子が見えないのだ。

だってテレビに顔出しして、追跡取材することを受け入れたんだからすごい。大人に対する信頼がなかったらそんなことはできない。過酷な環境でも、信頼を失わない子なのだ。

でも彼は親との関係がうまくいかず、16歳で自立することを求められる。一人きりで、「ばっちゃん」からも離れて。

彼がこの先まっすぐに生きていけるのかどうか、心配でならない。この子の根は歪んでいないのに、社会が歪ませてしまう。かろうじて「ばっちゃん」の愛情が、彼を完全に道を踏み外すことから逃れさせている。でも、それは今にも切れそうな細い糸でしかない。彼の無防備な瞳を見ているだけで不安で泣けてくる。

遠く離れた地で生活を始めて、改めて「ばっちゃん」のありがたさが分かったと、彼はこちらに向かっていう。昔は食堂のように思っていたけど、今は自分の親として会いたいと。

インタビューしているディレクターは、

「食堂だと思っていたわけ?」

と呆れたようにたずねる。食堂だと思われていたなんて、ばっちゃんが聞いたらどう思うかな、と。

これは余計なお世話の質問で、意地悪だ。しかし、それを聞かれた子は、軽々とその意地悪さを超越する。気分を害した風でもなく、ただ、簡単な算数の問題でも解くように、

「ばっちゃんなら、悪ささえしないならそれでもいいっていうと思う。よく電話してきたね、偉かった偉かったっていうと思います」

と答えたのだ。

この子がばっちゃんとの絆を手掛かりにして、正しく社会に出ていけるように、望む。

彼を取り巻く社会が、偶然でもなんでも、彼にいつも優しくありますように。

NHK『自閉症の君が教えてくれたこと』

www.nhk.or.jp

2014年のドキュメンタリーの続編。

自分は偶然それを見たのだがとても強い印象を受けたので、今回も楽しみにしていた。

ただ、今回はあまり良くなかった。東田直樹さんの周りの大人が、自分の思い込みだけで東田さんに接して空回りしてる、というのをただ見せられただけ・・・という印象だった。

多分それは、自分がひねくれて、心が狭くて、批判的すぎるからだと思うが、普通ガンにかかって人生に恐怖を感じるようになったという人が何か助言をもらいたいと思うなら、同じようにガンと闘っている人に聞くべきなんじゃないか。なんで自閉症の東田さんに話を聞きにいくんだろう。それは東田さんを私物化してるってことじゃないのかと感じてしまう。

ガンに限らず、ガンに代表される様々な困難を抱えている人代表として東田さんに会いに行ったのだ、ということかもしれないが、彼は悩める人のための総合クリニックではないし、名言吐きマシーンでもない。自分は東田さん自身が今何を考えているのか、知りたかったのだが。

だんだん、東田さんが何かご宣託を垂れて、周りの人間が「ははー」となってる茶番を見てる気がしてきた。人を上に見すぎるのは、下に見てるのと同じことで、Eテレの「バリバラ」が今年の24時間テレビに対して指摘したのと同じ、健常者の驕り高ぶりだと思う。

一番象徴的だと思ったのは、冒頭の、取材ディレクターとの会話。ガンにかかって、自分はもしかして母親や祖母よりも早く死ぬのかもしれない、命を繋いでいくことができなくなるかもしれないという不安に襲われた、とディレクターが言うのに対して、

「命は繋いでいくものじゃなく、一人一人で完結させるものだと思う。繋いで行かないといけないとしたら、繋げなくなった人はどうなるんだろう。繋げなくなったバトンを握りしめたまま、途方にくれたり泣いたりしているんだろうか、そう言うことを考えると僕はとても悲しくなってしまう」

と言ったこと。ディレクターは自分の病気のことばかり言っているのに対して、東田さんは会ったこともない、バトンを繋げない誰かのために心を痛めてさえいる。この違いはどうだろう。

とはいえ自分も以前、あのディレクターと同じ苦しみにぶつかったことがある。命のバトンを繋げないと思ったこと(自分の場合はガンではなくて、もっと軽い問題だったのかもしれないが)。だから、東田さんのあの言葉は胸にしみた。あの日の自分が東田さんに慰められていると感じたから。

しかしだからと言って、東田さんにもし会えたとしても、その当時の悩みをいちいち語って聞かせようとは思わない。それは自分の問題でしかないからだ。東田さんが自分の自閉症を、自分だけで抱えて生きているように、自分の問題は自分だけで抱えて行く必要があるのではないか。

それよりも、彼がこの先一人の作家として生きようとしている、そのことについて悩みとか希望があるならそっちを聞いてみたかった。そういう視点がごく限られていたのは残念だ。